マレーシア・ペナン島移住どたばたブログ

知り合いゼロからマレーシアのペナン島に移住した家族のドタバタ日記。5年目になりました♪

*

選択の自由

   

いや〜、新規事業に参入することにし脳内アドレナリン出まくりで朝4amには目が覚めてしまう、じゅごんですw

 

さて、この『じゅごんの頭の中』というカテゴリ。 なんのために書いているのかと言いますと・・・

我々はなんのために生まれてきたのか?』の記事でも書いていますが、我々はある日突然、自分の意思とは無関係に死にます。

でも、『ある日』とは遠い未来の話でもなく、病気や交通事故など、予告なく突然訪れます。 わしは今のところ、太く長く、100才オーバーまで生きる気満々ですが、飛行機事故などで来月突然死ぬことだってあるわけです。

わしには太郎、次郎、二人の子供がいます。 まだ小学生ですが、今後大人の階段を登る過程で、様々な問題や苦悩と対峙することでしょう。

その前にわしが他界した時用に、その瞬間に相談にのれない代わりに、わしが今まで生きてきた中で、感じたこと、考えたことなどを少しでも子供たちに残しておきたい、と、ある日思い立ち、ブログの片隅に書き留めておくことにしたんです。

まぁ、遺言みたいなものですねw

 

・・・・・・

いつも応援クリックありがとうございます♪

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ 

・・・・・・

 

例えば、いきなり後ろから体当たりされたとしますね。

どんっ!

 

普通の人「えっ、なに!?」

短気な人「いて! なにすんじゃわれぇ〜!」

 

そして・・・

どんがらがっしゃ〜ん・・・

 

 

あなたがさっきまで立っていたところに、車が突っ込んでいきました。
そう、体当たりした人は、車に気づいてあなたを助けてくれたんですね。

いきなり体当たりされて、戸惑ったり、怒ったりしたわけですが、車から助けてくれたと分かったら、感謝の気持ちになると思います。

『体当たり』という同じ事象が起こっているのに、『車がぶつかる!』という情報を得たら、怒りから感謝へと、気持ちが180度変わったんですね。

 

ビクター・フランクルというユダヤ人の心理学者がいました。
彼はナチス強制収容所に両親・兄弟・妻などと収容され、ほとんどの一族路頭は拷問、毒ガス室、病死するといった壮絶な環境にいました。

しかし、その壮絶な環境の中で彼は一つの大きな発見をしたのです。
彼自身が『人間の最後の大いなる自由』と呼ぶものを。

それは『選択の自由』。

例えば、拷問を受けたり、死んだ親戚のお墓を作らされたり、といった厳しい外部要因は自分ではコントロールできない。
しかし、それらに対して、自分がどう反応するか、という選択の自由は残っているということを。

 

例えば友人と話をしていて、口げんかになることがあると思います。
ちょっとイラッとすることを言われ、そのまま感情的に言い返してしまう。

でも、この『ちょっとイラッとすること』ってなんでしょうか?
往々にして、人は痛い本質を突かれると抵抗したくなります。 

 

感情的に反論するのではなく、そこで立ち止まって、なぜ自分は今、カッとしたのだろう?と自分の心に問いかける。
あなたの友人であれば、意味もなく怒らせることは言わないはずです。
そこには何か理由があるはず。 

 

ただ感情的に反論を繰り返す人生と、痛いことを言われたときに立ち止まって、その真意を考える人生。
同じ人の人生ですが、5年後、10年後、全くといっていいくらい別の人生になりそうだと思いませんか?

 

もし今、幸せでないとして、その原因は何か分りますか?

仕事が辛い、最悪な上司がいる、ひどい友達がいる、妻(夫)が全然理解してくれない、など。

 

まず一度、すべてを受け入れること。

 

今の状況は、すべて過去のあなたの選択によってもたらされている、と。

 

「あんな奴隷のような職場だったら、誰も幸せになれない」

「あんな上司がいたら、一生仕事も評価されず、鬱病になるだけ」

「私は色々助けたりしているのに、彼は私が困ったときには何もしてくれない」

「妻(夫)は結婚当時とは全然変わってしまった。うんざりして話す気にもなれない」

 

 

これらは、今自分が感じている不幸をすべて『他の何か』のせいにしています。

でも、すべて受け入れるのです。

 

『この状況は過去の自分の選択によって生じたもの。そして今なお、現状を改善する行動をしないことを選んでいるのも自分。すべて自分のせいだ』と。

 

 

本当に人生を良くしたいと思うのなら、

人のせいにしてはダメです。

 

すべて自分のせいと考える。

 

 

そうすれば、自分のどこが悪かったのか、どこを変えればこのような状況にならなかったか、など改善点も冷静に見れるようになり、結果として自分を成長させることができます。

 

そして自分が成長して変わったら、回りも必ず変わります。

でも、自分を正当化して、回りを批判し続けている間は、何も変わりません。

 

現状を作ったのは自分。

であれば、現状を打破するには、自分が変わるしかないのです。

 

 

私の偏見かもしれませんが、日本人は批判されることを嫌います。
前述の口げんかなども、友人が良かれ、と思って伝えている内容を批判と取り、反射的に反論しているわけです。

そして批判されることを嫌うことによって、最終的に『当事者を回避する』ようになります。
 

 

例えば、旅行に行こう、となったとき、

 

○ちゃん「私はどこでもいいよぉ〜♪」

わし「じゃ、○○はどうかな?」
○ちゃん「そこは××だからちょっとぉ・・・」

わし「じゃ、△△は? 海が綺麗らしいよ♪」
○ちゃん「そっちは××らしいから、どうかなぁ・・・」

わし「じゃ、どこがいいかな?」
○ちゃん「どこでもいいよぉ〜♪」

 

どこでもいいと言っておきながら、否定の連続。
ほとんどコントの世界ですw

まぁ○ちゃんって、嫁ちゃんですがw

 

でも、こういう人、凄く多いです。
否定はともかく、自分から提案することをしません。 

そういう方が一番忘れていること。
それは、当事者を回避するようになると、結果的に自分の人生ではなく、他人の人生を歩むようになる、ということ。

 

もちろん、自分から主体的に動くときには責任も伴います。
でも、だからこそ価値があり、厳しいながらも美しい人生になると思うのです。

 

人生一度きり。

 

来世は、フンコロガシだったり、バオバブの木になってるかもしれませんw

お互い、悔いのない人生を歩みましょう♪

 

それでは、みなさん良いお年を♪

 - じゅごんの頭の中